はぎゅハウス

渋谷で働くシンガーソングライター〜音楽のことや仕事について書いています〜

ドロップアウトしたつもりはない。そう決めつけられる世間はやばい

どうもこんにちは、ギターブロガーのはぎゅです!

 

ドロップアウトしているかどうかは本人が決めること

ぼくは大学を1年間留年していて、社会に出るのが、同世代の友人たちからは出遅れました。その後、大学を卒業するタイミングでも、就職先も決めずに、ただ「上京したい」という思いだけで、単身上京して、その後もしばらく落ち着くまでは、短期のアルバイトをやったり、アパレルのアルバイトをやったりして生活をしていました。

 

その後も正社員としてITの系のベンチャー企業に入社しましたが、1年と続かずに辞めてしまいました。その後、転職活動をしましたが、なかなか転職先も決まらず、現実はうまくないなと思いました。

 

ドロップアウトしていない」 

 

ただ、これだけは間違いないのは、ぼく自身は「1度もドロップアウトしたつもりはない」ということです。

 

アルバイトしていた時に、正社員への就活していたときも、「なぜ大学卒業後に就職しなかったの?」「社会的には不利なのわかってなぜその選択肢だったの?」と聞かれました。

 

正社員の仕事を辞めてからの転職活動でも、「なぜそんな短い期間で会社を辞めたの?」「何もスキルも持たずに辞めるのは危険すぎるよ」などとたくさん言われ続けました。

 何一つ「あきらめていない」

 

普通のルートを「ある程度普通に歩んでいないやつはドロップアウトしてる」という空気感、現実をものすごく感じました。

 

実際のところ、自分でも、「なんで普通にみんなと同じレベルのことができないんだろう」「どこから歯車が狂ってしまったんだろう」と思うこともたくさんありました。

 

ただ、ほんとうに、自分という人間としては「まだ何もあきらめていない」です。

 

毎日毎日おかしいなと思いながら、こんな日々を過ごすはずじゃなかったのになと思いながら、でも「現実は厳しいから」と、自分の気持ちと行動にストッパーをかけて、心の奥底にある熱が少しづつ冷めてきていることにも目を背けながら、生きていくことがそんなにも正しいことなんでしょうか?

 

変わりたいと思い続けています

 

たしかに、ぼく自信、まだまだくそみたいに未熟者で、何も持っていなくて、どうしようもないことくらいわかっています。

 

でも、「まだ何にもあきらめてない」し、「絶対に変わってやる」と思い続けています。

 

勝手に「道を外れたやつ」と烙印を押すな

社会的に「こうだったらまともなルート」、「ここを外れたらドロップアウト」とか決めつけるのはおかしいとおもいます。

 

たしかに、実績も何もないから、それで信じろという方がおかしいのかもしれませんが、少なくとも勝手に「ドロップアウトしたやつ」の烙印を押すのだけはやめてほしいとおもっています。

 

必死に現実と戦うことがわるいですか

 

ただ今はブログを通じてこんなにも思い通りにならない現実を「必死に変えようと」している人達がたくさんいること。

 

そういう人たちに「絶対にできるよ」と言ってくださる人たちがいること。それが弱い自分を奮い立たせてくれて、背中を押してくれています。

 

 人生のどこかでつまづいたり、失敗したりしている人ほど「人に対して寛容」です。

 

きっと同じ思いの人はたくさんいるはず

人の痛みがわかる優しい人間なのに、「現実の抜け出し方」「どうやれは変われるのか」がわからなくて、歯を食いしばっている人たちはたくさんいるんじゃないかとおもいます。

 

ぼくの周りにもそういう人は確実にいました。そんな人たちのことを勝手に「ドロップアウトしたやつ」と決めつける現実があるのならそれは絶対におかしいと思うし、ただその現実を変えられるのも自分しかいないことも事実なので、これからも「前を向き続けていきたい」と思っているのです。